論文タイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
347, 543, 897, 1042, 1103, 1133, 1328, 1397, 1450, 1753, 1770, 1946, 2324, 2584, 2803, 3111, 3698, 3792, 3793, 3875, 4078, 4112, 4115, 4207, 4398, 4484, 続宣7, 続宣31 |
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キーワード |
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論文要旨 |
1103番の一句目「今敷者」の訓について考察する。「敷」の字はシク活用形容詞の連用形語尾シク、又は連体形語尾のシキと考えられ、「今敷」で形容詞と考えられるとする。従来関連が指摘されていた宣命のイマシキは甲乙の違いなどから別語と論じる。続いて「者」との関係に注目し、形容詞連体形にハが続く場合は少なく、また修飾される語句も確認できず、イマシキハと訓すべきとする。この語は「今」という時点に外界の事象の情態、主体の心的状態を集約した情態的概念を示すもので、「今日的な情態」と解されるとする。そしてイマシキハは次の「見めや」にかかり、「私には、今、皆が訪れる吉野を見ることなどない」となり、そう思っていた吉野を見ることができた喜びを詠んだ歌と解されるとする。"
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