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対象歌番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
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キーワード |
志都の石室,生石真人,続日本紀,本居宣長,玉勝間,斎藤彦麿,万葉集抄,橘千蔭,萬葉集略解,播磨風土記,生石大夫,懐風藻,大石王,和名抄,石見,播磨,美濃,役行者本記 |
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論文要旨 |
355番の「志都の石室」の所在について考察する。これは生石真人の作で、彼は天平十年に美濃少目(大日本古文書)、勝宝二年正月正六位から外従五位外に叙せられた(続日本紀)ことが知られる。そして、問題の「志都の石室」については島根県出羽村(玉勝間ほか)、同大田市(大日本地名辞書)、兵庫県高砂市などの説が提示されているが、未だに定説をみない。そこで注目するのが、彼が美濃少目であったということである。美濃国を和名抄にみると、石津(伊之津)郡という郡名が確認でき、その「イ」が脱落し「シヅ」となったと考える。またこの郡内には「志都」という地名が確認でき、美濃国石津郡をその所在地とする。また135の「屋上乃山」を『役行者本記』により石見の「八上山」と」する。"
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