論文タイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
264, 351, 462, 464, 465, 1270, 1345, 1566, 1567, 1568, 1569, 1985, 2585, 3313, 3849, 3850, 3851, 3852, 3969, 4160, 4161, 4162, 4214, 4216 |
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キーワード |
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論文要旨 |
ここでは、悲哀美感としての「無常」が大伴家持にとってどの様に歌われたかを検討する。家持の歌の中の空虚感は、4465「族に喩す歌」の様な歌だけでなく、遊園や叙景歌中にも指摘でき、「無常」が継続的に彼の中にあって、重要なモチーフ、テーマであったとする。「無常」を歌にした歌人は、人麻呂、満誓、憶良らがあるが、自己の人生を「無常」として捉え観照し抒情として歌い上げるのは家持のみであると論じる。そして、それらの歌、特に「悲世間無常歌」(4160〜4162)では、憶良のように漢籍仏典に拠ることなく、平易な具体的日常語「照る月もみちかけし」「紅葉ちり」「黒髪変り」などを用い歌を詠む。家持は「無常」の詩的具象化に成功した点において評価されるべきと論じる。"
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