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論文サブタイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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発表雑誌名 |
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発行番号 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
105, 115, 131, 132, 212, 443, 467, 468, 471, 493, 495, 532, 544, 864, 891, 1442, 1453, 1681, 1771, 1772, 1785, 1786, 2513, 2514, 2587, 2617, 3091, 3182, 3196, 3198, 3205, 3210, 3291, 3292, 3363, 3460, 3567, 3568, 3571, 3752, 3936, 3990, 4006, 4085, 4214, 4240, 4258, 4328, 4341, 4385, 4387, 4393, 4401, 4417, 4422, 4428, 4429 |
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キーワード |
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論文要旨 |
万葉集における悲別の歌の発想と、その表現について論じる。悲別の歌は、別れに際し残される者の「留まれる吾」が「君をば遣らむ」となげく「留」〜「遣」の対応が悲別歌の基本形であり、後に残る者の方においてこそ、悲別の別れの情が高揚されることが理解される。また旅立つ側では、「置」という言葉を用いている歌が多く見られる。つまり先の留まる側の「留」という表現と、行く側の「(妹・父母を)置」という表現に互いの思いの対応が確認できる。だが、遣新羅使人歌、中臣宅守と狭野茅上娘子との贈答そして家持の別れの歌などには、先の対応(表現)は見出しがたく、それとは異なる別れの思いを情緒的に表現しようとした作歌方向も見られると論じる。"
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