論文タイトル |
|
論文サブタイトル |
|
単著/共著 |
|
論者名 |
|
ふりがな |
|
発行年月 |
|
発表雑誌名 |
|
特集タイトル |
|
発行所 |
|
発行番号 |
|
掲載頁 |
|
巻番号 |
|
対象歌番号 |
|
対象歌句番号 |
|
歌作者データ |
|
参考歌番号 |
50, 264, 310, 569, 1135, 1137, 1138, 1186, 1688, 1696, 1697, 1698, 1710, 2427, 2430, 3240, 3712, 4153, 古事記歌謡50 |
|
キーワード |
杏人,杏人浜,山田孝雄,喜多村俊夫,吉田敬市,奥野健治,井上通泰,沢瀉久孝,土屋文明,鴻巣盛広,本居宣長,石田茂作 |
|
論文要旨 |
巨椋池の古堤防遺構を木場跡と解し、その遺構と「杏人浜」(一六八九)との結びつけを歴史地理的立場から言及することにより、「杏人浜」は木場に関係ある人達の居住地区であることを論じ、更に「杏人」の訓みとこの浜の成立の歴史について考察する。「杏人」の訓みには旧訓カラヒトを採用して帰化人をさす語とし、カラヒトの浜の港湾設備が帰化人の手になるもので、その港湾造成の目的が宇治川を流れる建築資材の改容等の他に陸揚げ資材の貯木即ち陸上運搬にもあったとするならば、その労働者には軽部造が考えられることを述べ、カラヒトの浜は軽部造の専住地であろうと考察する。なお、一六八八や二六四などの歌の解釈についても言及がある。"
|
|
|
|
|