論文タイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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発行番号 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
148, 150, 153, 167, 168, 171, 2624, , 4346, 4423 |
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キーワード |
柿本人麻呂,挽歌,殯宮,誄,奉誄,女の挽歌,男の挽歌,天武殯宮,天智天皇挽歌群,皇子の宮人,別離の共感関係,吉野の盟約,日継,壬申の乱,島宮 |
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論文要旨 |
万葉挽歌は柿本人麻呂に至って、大きな変貌を遂げる。叙事的な内容を包含したり、長大な作品が生まれたり、といった現象がある。そういった転機となった作品が、日並皇子挽歌であることを確認して、誄詞が挽歌に受容されたことを論じた論文である。ことに、本論文では誄詞の受容のあり方を限定してとらえようとしている。まず、日本における誄詞が、臣下の礼であり、臣下が奉る寿詞発想の詞章であることを確認。その上で、臣下が奉る形式を持った挽歌が生まれたのは、誄詞の形式を挽歌に取り入れた結果であるとする。そういった誄詞の形式の受容によって、男の臣下による寿詞発想の挽歌が生成されたと結論付けている。なお、本論文は上野誠『古代日本の文芸空間−万葉と葬送儀礼』(雄山閣出版、1997・11・5)に所収されている。"
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