論文タイトル |
|
論文サブタイトル |
|
単著/共著 |
|
論者名 |
|
ふりがな |
|
発行年月 |
|
発表雑誌名 |
|
特集タイトル |
|
発行所 |
|
発行番号 |
|
掲載頁 |
|
巻番号 |
|
対象歌番号 |
|
対象歌句番号 |
|
歌作者データ |
|
参考歌番号 |
221, 1754, 2803, 2951, 3101, 3102, 3808, 紀107, 紀108, 紀109, 紀110, 紀111 |
|
キーワード |
民謡,童謡・謡歌,たげて(多礙底),松岡静雄,相磯貞三,歌垣,「米焼く」,焼米,井森陸平,柳田国男,小寺融吉,「手を取る」,「こと」,グラネー |
|
論文要旨 |
童謡には、一般的な民謡が、ある社会的事件が起こった後に、その事件と結びつけるような解釈によってその前兆と考えられるに至ったものと、社会的事件の後に、その事件を風刺的に歌ったものがある。しかし、書紀中の「童謡」とよばれているものの大部分が、本来社会的事件とは無関係な一般的民謡に過ぎないことを、皇極紀の五首の原義と歌の場を問題としつつ、証明する。皇極紀の童謡や猿の歌の歌詞を検討し、歌垣の歌であると論証し、歌垣の場の歌が諧謔や悪口を歌う傾向にあると論じる。また、皇極紀の謡歌も歌垣の歌と考えられる。第一は単に歌垣の夜の光景を客観的に歌ったように見えるが、第二、第三の歌は歌垣に参加した男女の個人的な情緒が主となっている点が注意され、民謡であっても、創作歌に近付いてきたことを指摘する。"
|
|
|
|
|