論文タイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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発表雑誌名 |
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特集タイトル |
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発行所 |
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発行番号 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
3580, 3581, 3584, 3586, 3587, 3593, 3594, 3595, 3596, 3597, 3598, 3599, 3600, 3601, 3615, 3619, 3622, 3625, 3627, 3629, 3630, 3631, 3632, 3633, 3634, 3635, 3636, 3637, 3645, 3656, 3657, 3658, 3659, 3663, 3668, 3669, 3670, 3671, 3672, 3673, 3674, 3675, 3676, 3677, 3678, 3679, 3680, 3681, 3682, 3683, 3684, 3685, 3686, 3687, 3688, 3697, 3698, 3699, 3700, 3701, 3702, 3703, 3704, 3705, 3706, 3707, 3708, 3709, 3710, 3711, 3712, 3713, 3714, 3715, 3716, 3717, 3718, 3720, 3722 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
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キーワード |
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論文要旨 |
巻十五の遣新羅使人等の歌の内、無記名歌九十八首の作者について考察する。天平八年四月拝朝時の無記名使人の歌群については、歴史資料に基づき出立後帰還までの所要年月を踏まえ、帰還期を推定して詠む歌に使人等と三中とで時節のずれがあることを着目し、すべてを大伴三中作歌とする説を否定。次に冒頭贈答歌十一首について、内六首の男歌がこの歌集の筆録者である一無名歌人の作とし、「乗船入海路上作歌八首」を一歌人の歌日記と考える他、「屬物發思歌」周辺の歌や「古挽歌」などについて同一人の作とみなす。周防國の八首、引津亭泊の作七首などは無名の一歌人を中心に幾人かの同僚の間で詠まれたものとして歌人グループの存在を指摘する。全体として無記名歌群の作者は、一行中の一無名歌人を中心にした歌人グループ複数名を想定し、必ずしも大伴三中独りの手による歌群でないと述べる。"
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