論文タイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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発行所 |
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発行番号 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
400, 401, 402, 409, 410, 411, 522, 523, 524, 525, 526, 527, 528, 559, 563, 646, 647, 648, 649, 653, 654, 656, 658, 660, 661, 665, 666, 667, 673, 680, 681, 682, 1584 |
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キーワード |
大伴坂上郎女,大伴宿祢宿奈麻呂,藤原朝臣麻呂,大伴宿祢駿河麻呂,坂上郎女の贈答歌,相聞戯歌,な・なれ,いまし |
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論文要旨 |
坂上郎女の怨恨歌において意識される「君」について、三つの説をそれぞれ検討する。まず、大伴宿奈麻呂について、續紀の記述や、他に坂上郎女との贈答歌がないことなどから、その可能性を否定する。次に大伴駿河麻呂について、坂上郎女の大伴家持や安倍蟲麻呂などとの贈答歌も含めて見ていくと、それらの間で交わされた贈答歌は、純粋な抒情歌ではなく、戯歌と見るべきであると指摘し、駿河麻呂が坂上郎女の恋愛の対象にはならないとする。最後に藤原麻呂について、集中の二人の贈答歌、及び年齢推定から、藤原麻呂こそが坂上郎女の恋の対象であったと考える。そして、この歌は坂上郎女が藤原麻呂と別れて十数年を経て、過ぎし日を回想した作であると考える。"
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