 
 
 
  
| 
 論文タイトル | 
   |  | 
 論文サブタイトル | 
   |  | 
 単著/共著 | 
   |  | 
 論者名 | 
   |  | 
 ふりがな | 
   |  | 
 発行年月 | 
   |  | 
 発表雑誌名 | 
   |  | 
 特集タイトル | 
   |  | 
 発行所 | 
   |  | 
 発行番号 | 
   |  | 
 掲載頁 | 
   |  | 
 巻番号 | 
   |  | 
 対象歌番号 | 
   |  | 
 対象歌句番号 | 
   |  | 
 歌作者データ | 
   |  | 
 参考歌番号 | 
  | 81, 446, 549, 550, 551, 557, 558, 566, 567, 568, 575, 886, 963, 964, 967, 1790, 1791, 3578, 3890, 3891 |  
  |  | 
 キーワード | 
  | 荒津,水城,芦城,吉備の児島,続日本紀,延喜主計式,延喜玄蕃式,松田芳昭,落合京太郎,森本治吉,坂本太郎,井上通泰,土屋文明 |  
  |  | 
 論文要旨 | 
  | 巻3・446〜450番は大伴旅人が大納言となって筑紫から奈良に帰京する途中詠んだ歌で、その際、注記「鞆浦」「敏馬」の地名から、旅人は内海航路をとって上京したと考えられている。しかし、巻17・3890以下十首の題詞「上京之時D962従等別取海路入京」を取りあげて「別取」は筑紫出発時の別に加え、陸路と海路の別をいうものだと考えた土屋氏の説を受け、さらに旅人らの行程のわかる記録を、集中の題詞や古資料などに求め、当時の太宰府の官路や旅立ちに際して餞別の宴を行った場をなど考証することにより、前半陸路をとっていたと述べる。"
 |  
  |   
 |  
 
 |   
 |