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単著/共著 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
171, 172, 173, 174, 175, 176, 177, 178, 179, 180, 181, 182, 183, 184, 185, 186, 187, 188, 189, 190, 191, 192, 193, 201, 475, 476, 477, 478, 479, 480, 1029, 1030, 1031, 1032, 1033, 1034, 1035, 1036, 1037, 1040, 1043, 1585, 1591, 1597, 1598, 1599, 1600, 1601, 1602, 1603, 1605, 2791, 3324, 3326, 3838, 3839, 3844, 3845, 3900, 3901, 3902, 3903, 3904, 3905, 3906, 3911, 3912, 3913, 3916, 3917, 3918, 3919, 3920, 3921 |
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キーワード |
人麻呂舎人説,舎人,大舎人,挽歌,巡遊伶人説,詞臣,西郷信綱,井上光貞,殯宮,内舎人,尾山篤次郎,題詞,左注 |
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論文要旨 |
人麻呂舎人説への疑問から、この説に対する基礎的考察として、その大方の根拠となっている舎人と挽歌の問題に検討を加える。まず、作者が舎人であることが明記されている歌の考察を行い、これらの歌が舎人としての公的位置による作歌ではないことを認め、次に挽歌中に舎人の叙述のある歌を検討し、それらの叙述が、例外なく舎人たちの葬儀に仕える様を描いて一状景描写となすものであり、あくまで皇子と舎人たち、あるいは宮人たちとの常日頃からの密接な結び付きによるもので、そのことを別にして舎人と挽歌との関係を特別なものと考えることは不可能であって、舎人の様を叙述しているから、作者が舎人であったということにはなお一層ならないことを明かにした。以上の考察により、人麻呂の殯宮歌は、宮廷関係歌として宮廷讃歌などと同じ次元において考察すべきであり、これを人麻呂舎人説の根拠とすることは殆ど無意味であると論じた。"
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