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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
477, 480, 1035, 1037, 3922, 3923, 3924, 3925, 3926, 3962, 3963, 3964, 3965, 3966, 3969, 3970, 3971, 3972, 4036, 4037, 4038, 4039, 4040, 4041, 4042, 4043, 4066, 4067, 4068, 4069, 4070, 4071, 4072, 4073, 4074, 4075, 4076, 4077, 4078, 4079, 4085, 4097, 4139, 4143, 4150, 4290, 4291, 4292, 4354, 4355, 4516 |
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キーワード |
大伴家持,歌日誌,巻十七,巻十八,巻十九,巻二十,正税帳使,山陰道巡察使,大伴池主,大野晋,田辺福麿,柿本人麿,山部赤人,白凰的,ますらを意識,宮廷讃歌,澤瀉久孝,久松潜一,徳田浄,北山茂夫,藤原氏,漢詩文,宮廷歌壇,倭歌,山柿の門,大濱嚴比古,高木市之助,犬養孝,越中時代,大伴旅人,山上憶良,黄金産出,大佛建立,大佛開眼,雪,因幡守,池上禎造 |
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論文要旨 |
大伴家持の歌日誌内の空白を通して、因幡守以後の空白の由来を検討し、家持が因幡の国の歌(四五一六)をもって作歌生活を放棄したのかという疑問、その後の空白における歌の有無についても考察を行う。その結果、因幡守以後の空白は、夢が現実にしいたげられたことによる失望のため、家持が意欲的に歌を作らなくなったことに由来すること、その空白内にも歌は存在したが、家持が歌日誌四巻(巻十七〜二十)を編纂整理するにあたって、四五一六番歌が巻頭の歌々(三九二二〜三九二六)によく呼応し、またその後には切って捨てるに惜しくない歌が、数もそう多くなく並んでいたが故に、この歌をもって巻十七以下四巻を閉じたことを究明した。"
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