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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
28, 238, 253, 255, 256, 270, 271, 273, 353, 389, 919, 925, 927, 933, 934, 1033, 1063, 1087, 1160, 1161, 1163, 1178, 1182, 1194, 1199, 1227, 1294, 1571, 1714, 1812, 1814, 1831, 1844, 1845, 1879, 1938, 2642, 3597, 3672, 3890, 3929, 3598, 3642, 3654, 4018, 記41, 記53, 記108, 紀87 |
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キーワード |
見る,見ゆ,呪歌,天皇讃歌,発想形式,記紀歌謡,国見,儀礼歌 |
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論文要旨 |
萬葉歌は、未だ創作歌としての統一的な性格を具えておらず、呪歌的性格の残存する歌から叙情詩迄の幅を持って存在しているとする。ここでは「見る歌」をその発想形式に沿って辿ってゆく。記紀歌謡では「見る歌」は呪歌としてあり、国土讃美が歌われる。それらは素朴単純な内容で、原宗教的感動により成り立っていると説く。萬葉集ではその流れを引き継ぐ歌と、その変化形の天皇讃歌、創作歌としての旅の歌とが存在すると説く。そこには「…見れば〜見ゆ」という基本形が存在するが、「…見れば」又は「〜見ゆ」がそれぞれ拡充されたり、修飾の詩句が加わったり、別の要素が挿入されたりと様々な変化形が見られるとする。ここに古い発想や素材が、新たな心で歌い続けられていく歌の歴史を見ることが出来ると論じる。"
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