万葉集主要論文所収歌句データベース(試作)


 論文タイトル
磯城皇子と「河内王」
 論文サブタイトル

 単著/共著
単著
 論者名
神田秀夫
 ふりがな
かんだひでお
 発行年月
1963/4
 発表雑誌名
萬葉
 特集タイトル

 発行所
萬葉学会
 発行番号
47
 掲載頁
5153
 巻番号

 対象歌番号

 対象歌句番号

 歌作者データ

 参考歌番号
417, 418, 419, 669, 1951, 3098
 キーワード
沢瀉久孝,志貴皇子,磯城皇子,古事記,日本書紀,川内王,皇子,王,親王,続日本紀,忍壁皇子,泊瀬部皇女,川島皇子,多紀皇女,河内王,長皇子,高安王,門部王,櫻井王,泉皇女,吉永登,手持女王
 論文要旨
以下の 銑イ里茲Δ幣況から、磯城皇子と河内王が同一人物であると論じる。_脇發旅颪砲皸訃襪ある(古事記)。 ⊆訥燦鞠「磯城皇子」が消えると同時に「川内王」が現れる(日本書紀)。 E敬雉に磯城「皇子」とあっても、その磯城皇子が生まれた当時「皇子」と「王」の区別はあいまいであった。 づ敬襍呂旅鳥劼任△辰討癲∧譴凌畔が低い忍壁皇子は、天智天皇の皇女を母とする諸皇子の下位に置かれており、同様に不遇であったのは、天智系の皇子で持統朝以後にまで生き残った志貴皇子である(続日本紀)。 キい里茲Δ防垓であった忍壁皇子と、壬申の乱以後生き残った天智系の皇子とは、下位に置かれるもの同志仲が良かった(万葉集)。また、磯城皇子に嫁したのが泉皇女であると推考し、さらに、巻3挽歌(417〜418)の作者「手持女王」が泉皇女とは別人で、「手持」を「車持」に改めるべきことを指摘した。"