論文タイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
2, 47, 162, 167, 196, 207, 208, 209, 210, 211, 212, 265, 460, 609, 892, 1807, 3326 |
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キーワード |
構造論,いかさまに念ほしめせか,契沖,伊藤左千夫,藤間生大,古代天皇制,天離夷者雖有,撰擇形式,挿入句,木下正俊,くどき文句,挽歌,杉山康彦,山本健吉,何しかも,何すとか,ツレモナキ,西郷信綱,二重映し,ますらを,反歌,孤の映像,宮廷儀禮歌,公的な挽歌,代表的感動,清水克彦 |
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論文要旨 |
人麻呂の長歌にしばしば見られる論理の屈折が、当該歌の「いかさまに念ほしめせか 天離る夷にはあれど」の四句にも見られることを指摘し、この四句を中心に考察を行う。「いかさまに念ほしめせか」の二句について、挿入句としての性格が顕著であること、「くどき文句」として捉え得ること、また、そのくどき文句としての陰影が、次の「天離る夷にはあれど」の二句によって、より強化されていることから、これら四句による、序章たる前半部と主想たる後半部との融合の達成を論証し、また当該歌が論理の屈折、文脈の重層性によって、挽歌としての詩的イメージを獲得した作品であることを究明する。さらに、「代表的感動」によって詩的綜合を達成した、身ぐるみ「ますらを」であることによって、人間人麻呂を形象し文学を獲得した作品であると当該歌を評した。"
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