論文タイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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発行所 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
3, 64, 88, 317, 324, 372, 431, 917, 923, 924, 925, 926, 938, 942, 946, 1005 |
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キーワード |
山部赤人,島木赤彦,叙景歌,長歌,漢籍,自然詩,李D08488百二十詠 |
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論文要旨 |
従来、山部赤人の歌、特に924、925等の歌に代表され、与えられた平正、平淡、寂寥感が赤人の歌の何処から導き出されてきたのかについて論じる。赤人の長歌が叙景的要素を持ち、その中に対比的描写の多いことは夙に指摘されてきたとし、この表現が想念的であり、静的な主情に乱れない描写であることを付け加える。そして先学諸氏の説をあげながら、赤人の「叙景」について論じて行くが、文学史の流れの中、赤人が生きた時代に多分に中国文学の受容があったこと、特に自然詩、詠物詩が六朝期から初唐期に起こったことに注目する。結果として、これに触れたことが、先の時代の人麻呂と異なる想念的対比的表現による、天皇讃美の故の自然を長歌の中に構築し得たと結論付ける。"
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