論文タイトル |
|
論文サブタイトル |
|
単著/共著 |
|
論者名 |
|
ふりがな |
|
発行年月 |
|
発表雑誌名 |
|
特集タイトル |
|
発行所 |
|
発行番号 |
|
掲載頁 |
|
巻番号 |
|
対象歌番号 |
|
対象歌句番号 |
|
歌作者データ |
|
参考歌番号 |
29, 30, 31, 34, 36, 37, 38, 39, 40, 41, 42, 45, 46, 47, 48, 49, 54, 63, 131, 132, 133, 134, 135, 136, 137, 138, 139, 145, 167, 168, 169, 170, 194, 195, 199, 200, 201, 202, 204, 205, 207, 208, 209, 210, 211, 212, 213, 214, 215, 216, 217, 218, 219, 220, 221, 235, 239, 240, 241, 249, 250, 251, 252, 253, 254, 255, 256, 261, 303, 304, 2262, 264, 266, 423, 426, 428, 429, 430, 894, 1667, 1716, 3236, 4245, 4260, 4264 |
|
キーワード |
大宝二年,大化改新,文学史,万葉史,憶良,歌謡語,人麿,記紀歌謡,複合語,非複合語,作者未詳歌,後期貴族歌,楽し,赤人,畝傍,神の命,国柄,ししじもの,妻の命,儀礼歌,常世,楽し,網,こちごち,金村,福麿,乙麿,旅人,池主,書持,梅花宴作者,榎井王,土師,三依,虫麿,家持,坂上郎女,神柄,いでまし,ももしきの,み山,つかへまつる,たたなづく,いさよふ,あづま,あらそふ,燃ゆ,蔽ふ,宮廷歌人,酒部老麿,三中,諸兄,八束,智努,巨勢朝臣,豊島采女,讃歌,宮廷讃歌,そらみつ,そらにみつ,枕詞,歌史,賀歌,天武天皇,持統天皇,朱鳥,改元,朱鳥元年,文武天皇,太上天皇,大宝,慶雲,攻臣,壬申年功,大宝律令,浄御原令,律令,行幸,吉野,吉野行幸,三河行幸,伊勢行幸,浄御原朝廷,藤原宮遷都,直木孝次郎,橋本達雄,天武朝,王権讃美,白鳳,挽歌,置始東人,石上麿,藤原不比等,紀麿,安麿,粟田真人,大神高市麿,長屋王,懐風藻,D-31420野王,巨勢多益須,犬上王,紀古麿,美努浄麿,調老人,伊余部馬養,大石王,山前王,采女比良夫,安倍首名,中臣人足,山田三方,紀雄人,藤原総前,准令,准律令,儒教原理,瑞祥思想,古代国家,遣唐使派遣,遣唐使,巨勢巴知,弁正,道慈,北山茂夫,藤原宮歌 |
|
論文要旨 |
人麻呂の用語を中心に考察を行い、歌謡語を導入する詩の形成において、人麻呂と憶良ら後期万葉歌人との間に大きな断層の存することを究明する。また、儀礼歌が、その断層に架して前後期の万葉歌を継ぐ唯一のものであると論じた。さらに、このような詩の在り方における人麻呂と後期万葉との断絶の要因を探求し、それが大宝二年の持統天皇の死にあることを指摘する。持統の死が、持統朝という天武残照の王朝の中に生き作歌活動を行った人麻呂と、文武朝という新しい時代の中で創作活動を行った憶良をはじめとする後期万葉歌人との間に断絶をもたらしたことを論証した。"
|
|
|
|
|