論文タイトル |
|
論文サブタイトル |
|
単著/共著 |
|
論者名 |
|
ふりがな |
|
発行年月 |
|
発表雑誌名 |
|
特集タイトル |
|
発行所 |
|
発行番号 |
|
掲載頁 |
|
巻番号 |
|
対象歌番号 |
|
対象歌句番号 |
|
歌作者データ |
|
参考歌番号 |
|
キーワード |
聖徳太子,片岡説話,日本書紀,日本霊異記,上宮聖徳太子伝補闕記,中西進,高壮至,伊藤博,調使家記,法隆寺,飢人救済譚,真人邂逅譚,神仙説,高僧伝,太子遊行譚,卑賎者邂逅・救済譚,尸解仙譚,聖知聖譚,聖徳太子伝暦,七代記(寧楽遺文所収本),達麿(摩),一心戒文,上宮厩戸豊聰耳皇太子伝,石田茂作,宇井伯寿,続高僧伝,常盤大定,達麿大師付法相承師師血脈譜,付法簡子,大唐国衡州衡山道場釈思禅師七代記,慧思禅師,東征伝,太子慧思託生説話,行表,道D21311,調使麻呂 |
|
論文要旨 |
片岡説話の形成過程について、関連文献の検討により考察を行う。聖徳太子薨後、仏法興隆の気運と、それに伴う太子顕彰の動きとの中で、中国との新たな交流によって得た達麿禅・達麿伝説の知識によって、片岡説話は形成され、またその形成過程において、太子薨時の歌(飢者歌)や、当時広く口誦によって伝誦されていた行路死人を哀れむ歌(太子歌)などの補入もなされたと思われ、それらがまとめられた結果、七代記所引の上宮厩戸豊聰耳皇太子伝のような初期の太子伝が行われるようになり、さらに、日本書紀、万葉集、日本霊異記などが、それぞれに必要な部分を採用したことによって、異なった片岡説話が生じるようになったという過程を究明した。"
|
|
|
|
|