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対象歌番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
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キーワード |
山上憶良,大伴旅人,天平,讃酒歌,罷宴歌,沈痾自哀文,筑紫,大宰府,伊藤博,西郷信綱,池田弥三郎,高木市之助,武田祐吉 |
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論文要旨 |
山上憶良の罷宴歌(337)、梅花の宴での歌(818)の中に、旅人・憶良両歌人の間の〈あそび〉と〈なり〉又は〈酒・宴〉と〈子〉といった、人生観乃至詩観の対立や反撥・抗議の関係をみとめようとしていた従来の論に対して反論を加える。沈痾自哀文では自身の病の原因を「飲食の招く所」とするが、これは飲酒を文飾して表現したものでないかと指摘し、憶良が酒を否定していたとの見方に考え直すべきとする。また罷宴歌を避宴歌と解して来たのは、他の憶良の歌を基にして考えられた憶良像を当て嵌めたもので、ここには貧窮問答歌等に見られる憶良像を適応すべきでないと論じる。そして337番の歌は避宴歌ではなく、愉しい宴の終わりを告げる客側(憶良)の挨拶歌と見るべきとする。"
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