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 | 論文タイトル |  |  | 論文サブタイトル |  |  | 単著/共著 |  |  | 論者名 |  |  | ふりがな |  |  | 発行年月 |  |  | 発表雑誌名 |  |  | 特集タイトル |  |  | 発行所 |  |  | 発行番号 |  |  | 掲載頁 |  |  | 巻番号 |  |  | 対象歌番号 | | 207, 208, 209, 210, 211, 212 | 
 |  | 対象歌句番号 |  |  | 歌作者データ |  |  | 参考歌番号 | | 131, 132, 133, 134, 135, 136, 137, 138, 139, 543, 390, 2656, 2238, 1708, 2491, 3362, 85, 86, 87, 88, 3223, 3224, 196, 481, 467, 390, 48, 219, 20, 21, 1782, 1783, 記83, 記78, 記79, 記80, 記81, 記82, 記84, 記85, 記86, 記87, 記88, 記89, 記90 | 
 |  | キーワード | | 泣血哀慟歌,柿本人麻呂,石見,相聞歌,連作,非連作,同人,別人,軽,妻,軽太子,軽大郎女,記歌謡,展開 | 
 |  | 論文要旨 | | 柿本人麻呂の泣血哀慟歌二首に詠まれている妻が同人か別人かという議論を出発点にして、第一首の背景には記歌謡にある軽太子と軽大郎女の物語があり、第二首は第一首を素材として成立したものであるととらえて同人連作説の立場をとる。二首の妻は虚構の妻でありながら題詞には実際の妻と書かれているところに、人麻呂の本質に根差した意図を読みとる。つまり、完璧な虚構に(実在の)妻の死という個的な実をこめて、人麻呂は作品を人々に供したものであろうと説く。" | 
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