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対象歌番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
後拾遺1053, 千載1172, 小侍従集68, 69, 曽爾好忠集526, 歌枕名8168 |
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キーワード |
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論文要旨 |
巻16・3835番歌に詠まれた勝間田の池の所在については主に、題詞の新田部親王邸の「堵裏」即ち唐招提寺域とする説、右京七条の「大池」に比定する説がある。しかし後者は、十七世紀の「大和志」薬師寺記録に見られるの勝馬田池分水口の破損の記事を根拠としており、一方、奈良朝末期に遡る古文書からは右京七条あたりは一般市民の住居であったことが知られることから、現在大池と称される池は当時は存在しなかったと指摘する。新田部親王の旧宅に建立された唐招提寺に関する古資料を考察した関野貞氏の伽藍所在地についての見解を基に、「堵裏」が指す旧邸宅の外垣のうちあたり、寺域に勝間田池を推定する。"
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