論文タイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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発表雑誌名 |
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発行所 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
3946, 3988, 4052, 4053, 4054, 4055, 4066, 4067, 4069, 4084, 4175, 4176, 4207, 4208, 4209, 4210, 4239 |
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キーワード |
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論文要旨 |
家持の越中国府在任期の歌には公館で催された宴席で霍公鳥の初鳴に関して詠んだものが多く残る。館中において霍公鳥の訪れを待つ場や、飛来する経路を描いたこれらの歌を手がかりに、地理的特徴を捉え、大伴池主の公館の位置を明きらかにする。先ず、4207,4209番歌中で使い分けられた「谿」「谷」の字の意味を押さえ、その地勢から霍公鳥の初鳴を聞くのに適した久米広縄の居館を伏木の大塚の地と推定する。次に当該の大伴池主の歌にみえる岡傍、見和ぎし山は、現在の赤坂の地であるとする著者の見解に加え、赤坂の地が朱の産地として古来丹生と呼ばれていたという松田寿男氏の説により、大塚の谿で起伏した赤坂山の特徴をとらえて表現された岡ともいい得る和やかな山が丹生の山に相当し、この地が後に久米広縄の居館となった池主の公館であると述べる。"
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