論文タイトル |
|
論文サブタイトル |
|
単著/共著 |
|
論者名 |
|
ふりがな |
|
発行年月 |
|
発表雑誌名 |
|
特集タイトル |
|
発行所 |
|
発行番号 |
|
掲載頁 |
|
巻番号 |
|
対象歌番号 |
131, 132, 133, 134, 135, 136, 137, 138, 139 |
|
対象歌句番号 |
|
歌作者データ |
|
参考歌番号 |
3, 4, 15, 18, 29, 30, 31, 36, 37, 38, 39, 45, 46, 47, 48, 49, 140, 145, 155, 167, 168, 169, 194, 196, 207, 208, 209, 210, 211, 212, 217, 220, 221, 222, 223, 224, 225, 226, 227, 485, 486, 487, 1287, 3914 |
|
キーワード |
晩年石見赴任説,反歌,対句,枕詞,伝記,石見国,或本歌,頭書,短歌,神田秀夫,南方熊楠,反辞,乱,柿村重松,藤野岩友,星川清孝,武田祐吉,土屋文明,斎藤茂吉,樋口功,異伝,推敲,訛伝,伊藤博,複数反歌,日並皇子挽歌,件の歌,左注,下注,日,月,渡瀬昌忠,近江荒都歌,一云,神野志隆光,或云,岩下武彦,大畑幸恵,臨死歌,岡熊臣,石見再下向説,大越寛文,依羅娘子,丹比真人,藤原芳男,石見妻,小野寛,贈答歌 |
|
論文要旨 |
石見相聞歌における反歌の作法・枕詞・対句の検証を行い、この作品が人麻呂晩年の作とは考え難く、持統朝前半に作られた諸作に通ずる性格を備えていることを明らかにし、さらに臨死歌群(223〜227)の考察を行い、人麻呂の臨死の場所のイメージが海と山とに分かれていることを指摘、その原因が、巻二相聞部の最後に採録されている依羅娘子の140番歌と、直前の石見相聞歌とが対になる贈答歌であるとの判断から、石見の妻と依羅娘子とが同一人物と誤認され、その誤認を契機に、人麻呂の死の舞台が石見に移され、石見相聞歌に印象深く歌われている海のイメージが次第に臨死の伝承に結びつけられて行ったところにあるとし、223番歌の本来の舞台は石見国ではなく、依羅娘子の二首の歌も石見で詠まれたのではなかったと考えてゆく方が自然であると論じ、以上の点から人麻呂晩年石見赴任説を否定した。"
|
|
|
|
|