論文タイトル |
|
論文サブタイトル |
|
単著/共著 |
|
論者名 |
|
ふりがな |
|
発行年月 |
|
発表雑誌名 |
|
特集タイトル |
|
発行所 |
|
発行番号 |
|
掲載頁 |
|
巻番号 |
|
対象歌番号 |
|
対象歌句番号 |
|
歌作者データ |
|
参考歌番号 |
|
キーワード |
日本書紀,百済,百済の滅亡,白村江の戦い,丘墓,丘墓之所 |
|
論文要旨 |
天智紀二年九月七日条の百済滅亡の記事にある「丘墓之所」という表現について考察し、併せて書紀述作の資料の問題についても触れる。書紀や漢籍の「丘墓」の用例を検討し、それが仰ぐべき祖先の墓という意味合いを持ち、そこから「丘墓之所」とは先祖歴代の墓のある土地、いわゆる本郷の地を指すと理解し、具体的には泗D17211あるいは泗D17211と熊津であったとする。また、そのような意味を持つ「丘墓之所」は「百済之名」と対偶表現になっており、当該個所は百済人の痛恨の情をあらわしていると述べる。そして、このような表現は、百済人自身の言葉に基づいて構成されていると考えられ、書紀述作の資料の問題を考える際にも考慮すべきであるという。"
|
|
|
|
|