論文タイトル |
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論文サブタイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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ふりがな |
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発行年月 |
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発表雑誌名 |
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特集タイトル |
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発行所 |
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発行番号 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
884, 885, 886, 887, 888, 889, 890, 891 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
897, 898, 899, 900, 901, 902, 903, 904, 905, 906, 893, 814, 794, 795, 796, 797, 798, 799, |
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キーワード |
和,敬和,万葉集新考(井上通泰),憶良の反歌,憶良の構成意識,家と旅,熊凝,相撲使 |
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論文要旨 |
憶良のいわゆる「熊凝哀悼歌」がどのようにして麻田陽春の作に和したのかを論ずる。憶良の作は陽春のものに比べて非常に長大なものになっていて、一見和を欠いているようであるが、その序、長歌、反歌に働いている憶良の構成意識を見ることによって、それが陽春の作に対する和として成り立っていることを述べる。そして、二人が熊凝を見知っていた可能性があることが作歌の契機としてあると述べ、また、憶良がこれほどに長大な作を成したのは、後の「老身重病経年辛苦及思児等歌」「恋男子名古日歌」に見られるように、子に先立たれる老身の親と老身の親を残して先立つ子の心情を憶良が痛切に知っていたからであるとする。"
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