論文タイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
85, 89, 115, 120, 421, 426, 544, 722, 726, 799, 804, 892, 1009, 1225, 1608, 1800, 2240, 2243, 2254, 2256, 2258, 2417, 2425, 2423, 2636, 2646, 2683, 2688, 2690, 2693, 2733, 2765, 2913, 3044(或本), 3205, 3277, 3280, 3281, 3580, 3615, 4195, 4347, 記4, 記38, 紀104 |
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キーワード |
被虐的心情,〜ずは〜まし,橋本進吉,山中行路死,霜,沢瀉久孝,白髪,待恋,何時辺乃方,野中春水,朝霧,序詞 |
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論文要旨 |
磐姫皇后歌の四首のうち、二首目以下の三首を取り上げ、各首の注釈と解釈を施す。「〜ずは〜まし」を「んよりは」という比較選択の意に解する場合もあるが、86番歌の場合は「ずして」という願望の意に解すべきであり、この山中行路死への願望は85番歌の「山尋ね」と同じ被虐的心情からくる。同様に87番歌の「黒髪に霜が置く」という表現は、万葉集において生命を枯らすものという観念があり、待つ苦しみの極限状態を表している。88番歌では他に用例のない「何時辺乃方」という表現が問題となるが、野中春水氏の説をふまえて「何時辺」とさえも限定できない嘆きの表現であるとする。"
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