論文タイトル |
|
論文サブタイトル |
|
単著/共著 |
|
論者名 |
|
ふりがな |
|
発行年月 |
|
発表雑誌名 |
|
特集タイトル |
|
発行所 |
|
発行番号 |
|
掲載頁 |
|
巻番号 |
|
対象歌番号 |
338, 339, 340, 341, 342, 343, 344, 345, 346, 347, 348, 349, 350 |
|
対象歌句番号 |
|
歌作者データ |
|
参考歌番号 |
338, 339, 340, 341, 342, 343, 344, 345, 346, 347, 348, 349, 350, 793, 812 |
|
キーワード |
大伴旅人,讃酒歌,漢籍,漢詩,文選,藝文類聚,D08272康,琴賦,劉伶,酒徳頌,老荘思想,竹林七賢人,陶淵明,飲酒二十首,阮籍,D20788猴賦,仏典,大智度論,山上憶良,五味智英,稲岡耕二,伊藤博 |
|
論文要旨 |
大伴旅人讃酒歌十三首に対し、この歌が披露されたのは楽しき宴のすさびであって、そこから高尚な人生哲学や深刻な論理を読み取る事は困難としながらも、制作背景を漢籍や仏典とのかかわりから旅人の人生的な感懐や、独自な抒情を伺い知ることは可能であろうとして、以下344、348、345、349、そして341、347、350の五項目、七首を中心に論を展開する。結果、この讃酒歌が非難する賢しらとは形式的・他律的な世俗の道徳律とそれに跼蹐する偽善的な世間に対するものとする。そしてそれを非難するに、旅人は仏説が戒める酔哭という立場で、世間の偽善に対し酔哭の偽悪を以てしたのであり、さらにそこには醒めた目で世間を見、かつ悲哀に満ちた自身をも見る旅人の姿を伺い知ることができるとする。"
|
|
|
|
|