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論文サブタイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
37,43,143,144,145,146,245,288,307,313,355,416,911,1043,1169,1183,1675,1668,3058,3240,3241,3253,3986,4501,紀2,紀3 |
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キーワード |
有間皇子物語,岩代,折口信夫,犬養孝,中西進,稲岡耕二,阪下圭八,豊田八千代,阿蘇瑞枝,「土地ぼめ」,渡瀬昌忠,高崎正秀,神饌,尾崎暢殃,羈旅歌,神野志隆光,羈旅歌の仮託・転用,露木悟義,渡辺護,近藤信義,山本健吉,伊藤博,土地通過儀礼,追悼歌群 |
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論文要旨 |
141番歌は、眼前の自然物(松)をうたい、旅の安全を祈り、142番歌は、家と旅とを対比することによって旅の不自由さをうたうというように、有間皇子自傷歌は、羈旅歌の類型に属するものであること。また、有間皇子自傷歌を後人の創作と見た場合、大津皇子に仮託して創作したとされる416番歌に比して、自傷の意識が薄いこと。追悼歌群について、滅びたもの(結び松)をうたうことによって土地をほめ、岩代に籠る有間皇子の霊を鎮め、行路の無事を祈願するという性格を指摘、自傷歌及び追悼歌群の悲劇の中心が、岩代の松にあることに着目し、岩代の地と深く関わった有間皇子物語をもとに岩代での羈旅歌を仮託・転用する形で有間皇子の自傷歌と称する歌が形成されたとする。"
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