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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
131, 135, 138, 194, 207, 210, 213, 217, 415, 421, 426, 794, 886, 904, 958, 1004, 1036, 1663, 1692, 1800, 1879, 2004, 2844, 3312, 3335, 3336, 3337, 3338, 3339, 3340, 3341, 3342, 3343, 3428, 3467, 3521, 3530, 3688, 3689, 3691, 3693, 3771, 3962, 3978, 記3, 紀102 |
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キーワード |
我,石中死人歌,行路死人歌,国土讃美,斎藤茂吉,伊藤左千夫,清水克彦,ますらを意識,妻,伊藤博,挽歌,死人哀悼,青木生子,ば,伏す,臥やす,臥ゆ,宿る,敬避表現,森本健吉,ころ伏す,自伏,山田孝雄,大野晋,寝せる,寝,共寝,坂本信幸,を,諏訪嘉子,山口堯二,敷栲の,稲岡耕二,家,神野志隆光,無名性,木下正俊,反実仮想,うはぎ,春菜摘み,土橋寛,岡田精司,中西進,君,旅人,国生み神話,時つ風,とゐ波,北條忠雄 |
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論文要旨 |
人麻呂・石中死人歌の特殊性を考えるにあたって、第二反歌の「寝せる」という語を中心に考察を行い、この「寝せる」が、上接する四句と共に現実には存在しない妻に対する死人の心情を一首に呼び込み、孤独な旅人としての死人の姿を強調するために大きな意味を持つ表現となっていることを明かにした。また、長歌後半部・第一反歌においても、死人の妻を積極的に歌中に呼び込む姿勢が見られることを示し、人麻呂は死人の「死」そのものを嘆くよりも、死人が妻と離れており、しかも二度と逢えないという事実を嘆くことに重心を置いていると論じる。さらに、長歌前半部の叙述が、死人を主観的に見る存在としての「我」を作品中に据えることを可能しており、当該歌群の独自性を支えていることを究明した。"
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