論文タイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
36, 167, 199, 196, 928, 1050, 4465 |
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キーワード |
殯宮,殯,宮,宮柱,高天の原,祝福詞章,常宮,日並皇子,天武天皇,即位,持統天皇,天武殯宮,宮遷り,大津皇子事件,島宮 |
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論文要旨 |
日並皇子挽歌の殯宮に関わる表現を分析した論文。柿本人麻呂の日並皇子挽歌には「・・・いかさまに 思ほしめせか 由縁もなき 真弓の丘に 宮柱 太 敷きいまし みあらかを 高知りまして 朝ごとに 御言問はさず 日月の まねくなりぬる・・・」(167)とある。この表現が皇子の遺体の殯宮への移送を表現したものであることを確認し、この表現の背後にある持統朝初期の殯宮観を明らかにしている。ことに、宮柱以下の表現が、神の鎮座や天皇が即位して宮を営む慣用的表現であることを指摘し、そういった表現を用いて、日並皇子の殯宮を表現したことの意味を説いている。その結論は、当該の表現が亡くなった日並皇子の即位を意識した表現であり、父である天武天皇の殯宮儀礼での殯宮観を背景としたものであるとする。なお、本論文は上野誠『古代日本の文芸空間−万葉と葬送儀礼』(雄山閣出版、1997・11・5)に所収されている。"
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