論文タイトル |
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単著/共著 |
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論者名 |
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掲載頁 |
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巻番号 |
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対象歌番号 |
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対象歌句番号 |
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歌作者データ |
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参考歌番号 |
2914, 3927, 3943, 3965, 3966, 3969, 3976, 4071, 4072, 4089, 4139, 4150, 4166, 4167, 4254, 4255 |
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キーワード |
3965前書簡文,3969前書簡文,七言晩春三日遊覧一首,3976前詩,山田英雄,竹内理三,林秀一,山中敏史,平川南,阿部隆一,伊丹政太郎,岸俊男,那波利貞,岸春風楼,米田祐太朗,今村与志雄,山口博,張庸吾,胡徳生,顧D11015之,吉川幸次郎,顧炎武,大伴家持,学,越中下向,文選,藝文類聚,学令,孝経,千字文,学問寺,遊仙窟,歓,木簡,漆書文書,帷幄,韓煕載,蓬体,孤亭,此夕,時花,秋時,春花,暮春,余春,麗景,媚日,杪春 |
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論文要旨 |
越中での家持に漢詩的表現の濃いことを指摘する小島氏に対して、月刊雑誌『文学』(第三十三巻十号)誌上に、家持が越中下向に際して『文選』『藝文類聚』などの大量の巻子本を持参し得たのかという批判があり、本稿はその批判に答えたものである。発掘の進んだ東北地方の木簡類や漆書文書などに見える漢籍名や、越中国の国学生の養成、郡衙の子弟教育に必要な書名などから、家持の入国以前に学令的経書の主な漢籍は蓄えられていたことや別に読むべき文学書の手沢本は持参していったであろうことを推測し、越中における家持や池主の漢語的表現について考証している。"
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